群羊社事典 < 事典2
「そのまんま料理カード」デビュー物語
 私の母校の創立者は、新島襄である。幕末のころ縁者もろとも死罪になるかもしれない危険なリスクを背負いながら函館港から密出国、アメリカに渡ってアーモスト大学に学び、維新後帰国、こともあろうに仏教のメッカ京の都に日本で最初の私学・キリスト教系大学を立ち上げた、とてつもなくスゴイ人である。こんなスゴイ創立者の大学に、国立大学の滑り止めという不純な動機で入学した。が、授業とはほとんど無縁だった。映画作りに参加したり、シナリオを書いたり、貸しホールを借りて名画鑑賞会を開きキャンパスや繁華街でチケットを売り歩き、アルバイトにいそしんだ。高校時代も同じ。2年3学期になっても創作劇なんかやっていて、気がつけば、模試総合で300人中ワースト10入り。あわてて旺文社のラジオ受験講座を聞き始め、1年間予習・復習を徹底したおかげで、入試直前の模試では、英語、国語、日本史で1番がとれた。「やる気になればできる」という自負が、勉強をしない横着さを助長させた。
 卒業して30年もたったころ、友人の親父が書いた「新島襄」の伝記(絶版)を借りて読んでしまった。感動して、すぐ函館に飛んだ。寒風と粉雪が交錯する函館港のはずれの岸壁で、新島襄が闇夜のなかをアメリカへと旅だった記念碑を見ながら、感動にふるえた。勉強嫌いだったが、そんなすごい人が作った大学にとりあえず席を置いたことが誇りに思えたきた。

 なぜ、ろくに勉強をしなかった話しを長々と書いたかというと、要するに「授業なんて面白くない」という私なりの定説が見事にうち破られた授業に出会うことができたからである。それは、女子栄養大学の足立己幸教授の迫力満点の面白い授業であった。
 新島襄もきっとこんな授業をしたのかもしれない。
あるとき学生が卒業後保健所の栄養士になったつもりで演ずる演習があり、私は聞き役として呼ばれ質問を課せられた。そのときの学生グループは等身大のドラえもんのポッケからタケコプターなどいろいろなものを取り出しながら、聞き手の関心を高めようと工夫していた。演習後「等身大の発想」への高い評価が足立教授からコメントされた。「実物大の料理カード」を作ろうと思ったのはこのときが最初である。
 お仕着せの栄養指導を否定し、自ら構想し学ぶ姿勢を後押しできる食教育と、その実践のための教材の必要性を説く足立教授の思想と、料理だけが一人歩きして、食べる人不在の出版物に物足りなさを感じていた私の編集者欲がまた共鳴した。念願であった「そのまんま料理カード」はこうして1994年10月、この世にデビューすることになる。


 「そのまんま料理カード」の特徴は、まず「実物大」であることだ。これを具体化するのが意外に手間どった。用紙のサイズを考えなければ実物大は簡単である。しかし、書店に並ぶサイズ、印刷コストから求められる効率サイズなどを考えると、A4(210×297ミリ)あたりが限度である。器のサイズを測りに、メジャーを持ってホテルレストランショーやデパートの食器売り場、浅草・かっぱ橋の食器専門店を回って、食器のサイズを測りまくった。直径210ミリを超える洋皿がいくらでもある。困った。思案していると、あることに気づいた。実物大の寸法は、マフカン(真上)から撮影しない限り印刷上の実寸法にならない、食卓の目線で撮影すれば左右は実際の寸法だが、奥行きは縮まる。このトリックが分かったことで、サイズの難題が解決し、あとはお金以外さほど障害物はなかった。
第1集、第2集合わせて2万部作った。この種の本としては、いまから考えると身のほど知らずの部数である。制作費の約3000万円は、自宅を担保に全額借金に頼った。
トーハン、日販など合計約2000部程度の新刊委託部数となったが、返品はすさまじかった。配本後10日くらいからどんどん返品されてくる。現在、書籍の返品率は40%弱だが、「そのまんま料理カード」の返品率は95%くらい。2000冊配本して100冊しか売れなかったことになる。分室の1DKの薄暗いマンションは返品が天井まで積み上げられ通れないほどになった。
新刊委託以外に、社員全員が分担して首都圏、京阪神、仙台などの書店周りをして注文をもらってくるのだが、これも、すぐ返品で戻ってくる。サイズが大きいので、置く場所がもったいないのだ。予想していた家庭の主婦層が全く手を出さない。朝日新聞の1面に150万円払って「サンヤツ広告(1面の下にあるタテ3段×ヨコ1/8サイズの広告)」を出しても反応は少ない。関連学会やブックフェアで展示してもみんな通り過ぎていく。これが1年目の惨状である。
出版の貸し倉庫は、坪やパレットでスペースが算出される。1パレットはA判全紙の大きさの木製のすのこ状のもので、2パレットで1坪と計算する。「そのまんま料理カード」は350冊で1パレットだから700冊で1坪、合計約29坪の倉庫を借りる計算になる。1坪7000円だから毎月20万円の倉庫料である。約10年で2万部のうち約70%を売ったが、考えてみればこの2点の倉庫料だけで1500万円以上は使った計算になる。これでは、経営者としては失格である。

2〜3年間は、ほとんど売れなかった。しかし、山が崩れ始めた。あちこちで評価が高まり、口コミで徐々に全国に輪が広がっていった。なんといっても足立先生やその実践グループの教材への熱意がじわじわっと人々に伝わってきた。カードを使った食教育の効果が非常に高いことを実証する研究報告も相次いだ。
栄養改善学会の展示・即売でも、シュリンクパックを外して、手にとって中が見られるようにして、さらにサンプルのカードを2〜3枚タダで配ることにした。すると、人々が立ち止まり、黒山の人だかりができた。特に最近の3〜4年はものすごい勢いで売れた。近くの分室に天井まで積まれていた返品の山は崩れ始め、再び書店への流れ始めた。1冊2.7キロ、一抱え10冊で約30キロ弱。これを若い女性社員が汗をかきながら分室からエレベータのない2階まで運び上げ、発送するのが日課となった。
こうして約10年かかって第1集は完売した。第2集はこの半分の売れ行き。
いま、改訂版が出て、第2期を迎える。
経営者としては失格だが、編集者としては、とにかく面白い仕事であった。この仕事ができたおかげで、私はまた、生きる力をもらった気がする。 (2005.5、藤原眞昭)