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| 天才漫画家手塚治虫の執念 |
「カムイ伝」「子連れ狼」「巨人の星」「あしたのジョー」「ゴルゴ13」「エースをねらえ」「柔道一直線」「アタックNo.1」……1960年代から70年代にかけて「劇画」や「スポ根」が圧倒的な人気を集め、居酒屋や大衆食堂で読みふけっていた青春時代が思い出される。このブームを認めようとはせず、スランプに陥って、もがいていた一人の漫画家がいた。手塚治虫である。「鉄腕アトム」など数々のヒット作で、漫画の神様とあがめられ、一世を風靡(ふうび)した「手塚ワールド」も、劇画やスポ根の前では時代遅れと見放され人気が凋落したと、「NHKスペシャル・ラストメッセージ」で知った。 1973年に虫プロが倒産。借金に追われる身にもなった。 この苦難の時期、1973年11月から、最後のチャンスとばかりに「5回短期読み切り」の厳しい条件で「週刊少年チャンピオン」(秋田書店)で連載が始まったのが、医療の現場を舞台にした「ブラックジャック」である。 無免許の天才外科医が、あらゆる医者から見放され最後の望みを賭けてやってきた重症患者を奇跡的に助ける。生命とは何か、人間にとって生きることとはなにか、生命を救うことの意味は何かを問い続ける作品は人気を集め、予想に反して、5年、230話もの連載が続くこととなり、手塚治虫の代表作となる。 1988年3月、手塚治虫は体調不良を訴え、入院。末期がんと分かる。手術は成功したものの、12月に転位から再発。翌1989年(平成元年)2月9日朝、生命とは何かを問い続けた天才漫画家は、60年の生涯に幕を下ろした。入院してからも漫画を描き続け、描けなくなっても亡くなる3週間前まで漫画以外の仕事でペンをとっていたという。 このブラックジャックの色紙は、あるご縁からこの入院中に描いていただいたものである。ひょっとすると手塚治虫の最後のサインだったのかも知れない。関係者の話では、40年間に漫画原稿を15万ページ、アニメーションは60タイトル以上を手がけ、仕事が頭から離れた日はなく、一日中ほとんど仕事をしていたという。「仕事をさせてくれ!」が最後の言葉となった。 生きることの意味を仕事をしながら探し続けていたに違いない。だからこそ、仕事が大好きで、仕事を楽しみ、仕事で悩みもがき、苦労も半端ではなかったと思う。 (2006年11月5日「NHKスペシャル・ラストメッセージ」を見て/藤原記す)
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